2020年12月25日

「秋風の恋」

僕はバンドが解散、もしくは休止した時に必ずと言っていいほど
ハワイやロスへ半年ほど行く癖がありました。(笑)
1976年もそんな年でハワイでアパートを借り住んでいて時々レンタカー
を借りてはフリーウエイをドライブしていました
いつもカーラジオをつけては流行りの曲を聴いていましたが
その中でもお気に入りの曲がイングランドダン&ジョンフォードコリー
の「秋風の恋」〜I'd Really Love To See You Tonightでした
全米ではヒットしていましたが日本ではあまりひっとしていなかったようです。
僕の中では世界一美しい声のイングランドダンも病で亡くなり
とても寂しいですね
1972年12月21日にThree Dog Nightが日本武道館でコンサートが
あり大ファンだった僕は見に行きました。
前座にイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーが出演
していて歌声のすばらしさに本当に感動しました。
その日からファンになった記憶があります。
確かトークで「今夜コンサートが終わったら赤坂の何とかという
お店で飲んでいるので是非来て語り合おう!」なんて言って
いたのを記憶しています。(笑)
1970年にアメリカでモンキーズの次のアイドルボビー・シャーマンが
ハリスガムのCMで日本に来て日本武道館でコンサートをやり
前座に僕のバンドとザスパイダースが出ましたが2年前の70年当時は
PAなる物が無く実際演奏すると全く何をやっているのかわからなかったです。
(笑)
PAとモニターの重要性がはっきりとわかった瞬間でした。

「秋風の恋」
posted by 上原オサム at 09:26| Comment(0) | 日記

「Special To Me」

◆1979年もまたバンドが休止した年でした
早速ロスへ向かいアパートの隣に住んでいた方とお友達になり
サンフランシスコへ車でフリーウエーイを飛ばして遊びに行くことになり
ご一緒させていただきました。
アメリカでは日本と違いカーラジオから流れてくる音楽がなぜか音質がいいんです
その理由は日本でAM放送はモノラルでしたがアメリカではすでにステレオだったんですね〜
カーラジオから流れてくる
ボビー・コールドウェル(Bobby Caldwell)の「風のシルエット」が心地よくすぐに
ファンになってしまいレコード(アルバム)を購入しました。
その1曲目に入っていたのが「Special To Me」で今回演奏してみました

「Special To Me」
posted by 上原オサム at 09:23| Comment(0) | 日記

「暗黒街への挑戦」

◆1970年代もう一つハマったバンドがありました
このバンドの演奏をやりたくて作ったバンドが
「ミッシェル」(RCAビクター)でした。
そのバンドとは「Earth Wind & Fire」 です
日本公演・ロスでの衝撃的なコンサートでもう大変でした
(笑)
このバンドはたぶんライブでは世界一うまかったと思います。
マジックなどふんだんに取り入れ今までと全く違ったライブをやっていました
僕のバンド「ミッシェル」はTBSの銀座ナウも準レギュラーで
出演回数はかなり多かったです。
チャーと一緒の出演の時、リハーサルで僕のBassプレーを
見て「一緒にやろうよ!」とお誘いを受けましたが
僕がリーダーだったのとホリプロとの契約の関係上
お誘いを受けることができなかったのです。
懐かしい〜な〜
ライブでは「Earth Wind & Fire」 の曲を7〜8曲やっていましたが
今回やる曲「暗黒街への挑戦」はやった事がないのと一番最初に
好きになった曲なのでやってみました。
音質は当時より格段に良いと思いますよ!

「暗黒街への挑戦」
posted by 上原オサム at 09:18| Comment(0) | 日記

「マスカレード」

先日リクエストをいただいたので早速作ってみましたが
ジョージベンソン・マスカレードは難航いたしました。
やはり非常に難しく点数をつけると50点かな(笑)
一応約束を果たしたということでお許しください

「マスカレード」
posted by 上原オサム at 09:15| Comment(0) | 日記

「Greatest Love Of All」

GS(グループサウンズ)時代の先輩に萩谷清さんという
有名なジャズギターリストがいらっしゃいますが奏法が
僕の好きなウエスモンゴメリーやジョージベンソンを彷彿
させるサウンドで大変素晴らしいです。
是非レコードを聞いてみてください!
ジョージベンソンのライブを日本で2回,ロスで1回見ましたが
本当に素晴らしかったです。(後期より前期の方が好きです)
セカンドギターを弾いていたフィルアップチャーチはロスに
住んでいてベーグドポテトと言うお芋料理がおいしいライブハウスに
良く出ていて何度も見に行きました。
時々ゲストにキーボードのロニーフォースターやハービーメイソンも
出ていてもう感激でした。
(お客様で有名なミュージシャンも沢山見に来ていました)
中野サンプラザでのコンサートの時はSONYのカセットレコーダー
を鞄に忍ばせ録音したのは後にも先にもジョージベンソンだけでした。(笑)
と言うわけで2020年コロナの年最後のアップはジョージベンソンの名
曲「マスカレード」では無く「Greatest Love Of All」です。(笑)

「Greatest Love Of All」
posted by 上原オサム at 09:12| Comment(0) | 日記

「I'm Not In Love」

1974年頃に「ジュテーム」というバンドを作り六本木の
ナイトクラブで演奏していました。
僕らの演奏を見に来ていたTBSの大プロデューサーの
渡辺正文さんの一声で日曜夜11時から放送されていた
「サウンドインS」という番組にレギュラーが決定!
そしてまた見に来ていたテレビ朝日の大大プロデューサーの
皇(すめらぎ)さんのお力で「せんみつのジョイジョイスタジオ」にも
レギュラー出演させていただきました。
隣のスタジオではドリフターズの新番組の収録で加入されたばかりの
志村けんさんが一生懸命セリフを暗記していたのを記憶しております。
皇(すめらぎ)さんにはその後も定年退職されるまで可愛がって
いただき心から尊敬できる方でした。
そのバンド「ジュテーム」はワーナーパイオニアよりデビュー
したのですが全く売れず事務所も倒産しバンドは休止になり
今年で44年が経ちますがまだ解散はしておりません(笑)
メンバーの中の二人はすでに亡くなっておりボーカルと
ギターは現在関西で活動中!
最初のギターは後にビージーフォーの「モト冬樹」さんでした
今回は洋楽のリクエストが多かったので当時やりたくてもできなかった
1975年のヒットの名曲10CCの「I'm Not In Love」です。

「I'm Not In Love」

posted by 上原オサム at 08:51| Comment(0) | 日記

2020年12月24日

「不思議な夢」

日本では1967年にブルーコメッツのブルーシャトーが
大ヒットしレコード大賞をとり1968年はGS(グループサウンズ)の大ブームでした。
ブームに乗ってライトダースというバンドアマチュアバンドに
いた僕はリードギター担当してボーカルは沢田研二さん似の
美男子で結構人気もありました
ヤマハの「ライトミュージックコンテスト」というのが有り
優勝するとデビューできるというので早速申し込みなんと
地区優勝を!
全国大会では残念ながらダメでしたがその時に出演した
中学生がリードギターを弾いていたバンドがありその方は
世界的にも有名な渡辺香津美さんだたんですね〜
2000年頃にNHKで一緒になった時にその話をしたら
「あんまり昔の事は覚えて無いですね」と言っていました。(笑)
で、ライトダースはライトミュージックコンテストの時に
マネージャーにスカウトされてデビューと言うことになりましたがサイドギターとドラムが「ナイガイ」という企業に就職が決まってやめる事となり解散へ
その後ボーカルと一緒にメンバーを集めライブハウス
(当時はゴーゴークラブと言っていました)を掛け持ちして活動していました。
その後、立花京子&パイロット(ポリドール)シルクロード
(RCAビクター)と転々としていたとき仲良くなったのが
ザ・ハーフ・ブリード(東芝レコード)でした。
リードギターでボーカルの「ポール・リー」はハーフでアメリカンスクール出身なので英語がペラペラで歌が抜群にうまかった!
(今でも日本で一番うまいと思っています)
ある時、一緒に水戸のイベントで一緒になり帰りの電車が遅くなりポールが「夜も遅いので今夜は家に泊まれば」ということになり田園調布のマンションに着くとそこで待っていたのは
「リポーション」でドラムをたたいていた矢沢透さんでした。
3人で夜明けまで音楽について話し合い夢が膨らんだ瞬間でした
そう、矢沢透さんとはアリスのきんちゃんです。
それ以来親交は続きアリス全盛の時もよく一緒に六本木で
飲みました
あの頃(リポーション時代)は日本でも5本指には入るくらいの
実力を持っていた素晴らしいドラマーでした。
ポールは解散後、羅生門 を作り多少売れましたがメンバーが
すごかった。
(ハプニングス・フォーのクニ河内さんと近田春夫さんも居た)
日本テレビの五木ひろしさんなどを発掘した歌謡選手権でも優勝しましたが
日本の音楽界に限界を感じハワイに渡りメジャーデビューを試みていてA&Mレコードから契約の話もありました。
僕も来いよと言われワイキキのダウンタウンそばのオーシアナ
というところでポールがギターボーカル・僕がベースとコーラス
でしばらくやりましたが地元でも結構彼のファンは多く絶対アメリカでも
成功すると思っていましたがその後音沙汰が無くなりました。
そう1968年の作品でザ・ハーフ・ブリードで「不思議な夢」を
初公開! たぶん誰もやっていないでしょう!(笑)
ブルーコメッツの井上大輔さんのおうちで色々話していたとき一番すごいと
思ったボーカルは「ポール・リー」だと聞いたときは本当にうれしかったです。

「不思議な夢」
posted by 上原オサム at 16:47| Comment(0) | 日記

「気絶するほど悩ましい」

僕の親友に「チャッピー」という有名なキーボード奏者&
プロデューサーがいて一ケ月の半分以上も一緒に行動していて
加瀬邦彦さんは僕らに会うと「いつもお前たち一緒だね!」って言って笑っていましたね〜
彼はワイルドワンズ解散後、キャンディズのバックを務めた
バンドのリーダーをして編曲やプロデュースや映画音楽を作ったりして僕は手伝わされていてものすごく忙しかったです。
キャンディズのバックバンドがMMPでドラムが「リューベン」でした
1977年に「Char」とTBS銀座ナウで初めてご一緒した時のドラムが「リューベン」だったのでリハーサルの時に「Char」を紹介してくれてお話をするようになりましたが彼のギタープレーは本当にすごかった!
2年ほど前に「Char」の「気絶するほど悩ましい」を作曲した
梅垣達志さんともお会いする機会があったのとDMにてぜひ
この曲をやってほしいとのご要望もあり作ってみました。

「気絶するほど悩ましい」
posted by 上原オサム at 16:46| Comment(0) | 日記

「ルビーの指輪」

7〜8年前のクリスマスの時期に僕のライブ(一人ライブ)
を見に来てくれた千葉県で一番大きな
住宅メーカー新昭和の社長がホテルで
クリスマスパーティをやるので出てくれないか
と言うことでOKしましたところ当日、
会社のCMに出演している寺尾聰さんと
ヴィレッジシンガーズのドラムの
林ゆたかさんとオックスのギターの
岡田志朗さんが来ると言うでは無いですか!
社長にGS時代に僕と岡田志朗さんは一緒に住んでいた事を
話すと「それじゃみんなで何か演奏してよ!」となり
志朗さんに電話したら寺尾聰さんがベース、
林ゆたかさんドラム僕と志朗さんがギターで
3〜4曲やることになりました
実際やるとアンコール、アンコールで
何と30分もやってしまったんです。
リハサールが無くても曲名とキーを言えば
出来ちゃうのもやはりすごいです!。(笑)
よく考えてみると4人ともホリプロのOBだったんですね〜
寺尾聰さんもサべージで在籍していました。
しかし寺尾聰さんが持ってきた1963年式のジャズベースは
良い音がしていましたしプレイもさすがといった感じでした
寺尾聰さんの大ヒット曲「ルビーの指輪」を演奏してみました

「ルビーの指輪」
posted by 上原オサム at 16:39| Comment(0) | 日記