2021年01月27日

「ダンス・ウィズ・ミー」

「ダンス・ウィズ・ミー」というタイトルは何曲も
有りますがなんと言っても元祖は1975年にヒット
したオーリアンズの「ダンス・ウィズ・ミー」では
ないでしょうか!

当時フュージョンミュージックが流行っていました
がアコースティックギターとコーラスが気持ちが良い
この曲もかなり人気がありました。
何とギタリストでこの曲を作ったジョン・ホール
は解散後にアメリカ合衆国下院議員になったんですね

僕のバンドでもレパートリーとしてやりたかった
のですがアコースティックギター担当がいないのと
コーラスが結構難しかったので断念しました。

山下達郎さんのライブバンドでコーラスとして
参加していた知り合いの村田和人さんのソロライブ
を見に行った時にこの曲をやっていて非常に感動しました
彼は声も良いし音楽的センスも非常に良い方でしたね

実は1978年頃にバンドが解散して一人で今のように
多重録音で曲を沢山作っていて当時よく一緒に飲みに
行っていたのが元ワイルドワンズのチャッピーと
スタジオミュージシャンで一番売れていたギターの
芳野藤丸(将軍でボーカル・ギター)さんでした。
車に乗っている時に作った曲を聴いてもらったら
「ソロでやったほうがいいよ!」と言ってくれて
その気になりRCAレコードの知り合いのディレクター
にデモテープを持って行ったところ「うちの会社に
同じようなサウンドですごいのがいるよ」と
言われ聴かせてもらったのが山下達郎さんでした
うわ〜めちゃくちゃ歌がうまい〜ってことでソロに
なることをあきらめた瞬間でした。(笑)

今の時代は自宅でレコーディングが出来るのと
一人でコーラスを多重録音できるので70年代の名曲
「ダンス・ウィズ・ミー」をやってみました
「ダンス・ウィズ・ミー」
posted by 上原オサム at 09:38| Comment(0) | 日記

2021年01月24日

「悲しき雨音」

僕が音楽に興味を持ったきっかけはなんと言って
も9500万人のポピュラー・リクエストではないで
しょうか
ランキング形式で21位まで発表してDJは小島正雄
さんという方でした
文化放送の木曜日放送で1963年〜1966年頃まで
ほぼ毎週のように聴いていました

この頃、作曲家の「すぎやまこういち」先生は
文化放送でディレクターをしていたんですね〜
(後にフジテレビへ行きます)
この番組は同世代の音楽をやっている方には大変
人気があり当時世界で流行っている曲を紹介し
その中でもデイヴ・クラーク・ファイヴの
「ビコーズ」とイタリアのサンレモ音楽祭入賞曲
の「ほほにかかる涙」、そしてクリフリチャード
の「サマーホリディ」が大変好きでした

1964年に初の東京オリンピックが開催しテレビで
オリンピックを見ながらラジオでこの番組を同時
に聴いていた記憶があります。(笑)
この時代は今と違い海外と日本では1年ほど発売
とヒットのずれがありリアルタイムで海外ヒット
を聴くことが出来なかったんですね

僕が今でも好きな曲で亡くなった大滝詠一さんも
歌唱方法に影響をうけたと言われるカスケーズの
「悲しき雨音」はボーカルのジョン・クラウド・
ガモーさんが作り全世界でヒットし多くの方が
その声に心から魅了されました。
4年ほど前に日本へ単独でやってきて高齢にも
かかわらずライブビデオを見ましたが歌声も
素晴らしかったです。

僕の中でも生涯忘れられない曲を原曲を再現し
演奏してみました 「悲しき雨音」
「悲しき雨音」
posted by 上原オサム at 08:51| Comment(0) | 日記

2021年01月16日

「ムーン・アンド・スターズ」

「ムーン・アンド・スターズ」
◆昨年12月22日にハーフブリードのポールとのお話でアップした
「不思議な夢」が好評で当時の想い出が甦ったとのコメントが
ございましてB面に入っていてライブでは大変人気のあった曲
「ムーン・アンド・スターズ」をやって欲しいとの要望があり
早速演奏してみました。

レコードではテンポがちょっと早く演奏も間違っているところ
もありちょっとゆっくり目にしてライブ時と同じテンポに変えて
みました。
作詞・作曲は事務所の社長さんで木村さんという方です。
とても音楽をやるようには見えなくて小太りのその辺のおっさん
という感じでしたが大変優しくまたセンスもよく僕にも非常に
良くしてくださった方でした。(笑)

ではハーフブリードのカバー曲「ムーン・アンド・スターズ」です。
「ムーン・アンド・スターズ」

posted by 上原オサム at 22:42| Comment(0) | 日記

2021年01月12日

「保護した鳩のひな」

2020年11月に動画でアップした
「我が家に棲みついたハト」の続編です。

11月にヒナ2匹が無事に巣立って行きました。
しばらくしたらまた卵を産み温め始めたようです。
「あんたも好きね〜」って感じで笑っており
ましたが12月に入りだいぶ寒くなってきたので
大丈夫かなぁと心配していましたが鳥は羽毛が
あるので冬でも大丈夫だろうと思ったのです。

クリスマスのちょっと前に卵からヒナが孵ったようで
毎朝巣箱へ交代で来ては餌をヒナに与えていま
したが寒くなり餌が少なくなったのかちょっと
大きなハトの夫婦がやってきて家のハトと餌を
奪い合い激しく喧嘩するようになりました
しばらくはじっと様子を見ていたのですが
目の所や首にキズが出来てついには逃げていって
戻ってこなくなってしまいました。
新しい方のハトを追っ払っても追っ払っても
それでもやってきます。

しばらくして餌をあげないようにしたら来なく
なるかと思いましたがそれでも毎日やってきます
これでは生まれた雛に親鳥が餌をあげられ
なくなるのでは・・・と心配して巣箱を開けて
見るとそこには冷たくなったヒナとぐったりした
ヒナが2匹居ました。
僕はあわてて生きている方のヒナを家の中へ
入れて暖かくしてとりあえず餌をどうやって
あげれば良いのかネットで検索してなんとか
方法が見つかりました。

とりあえず近所にある100円ショップで香水の
入れ替え用のポンプ(注射器)と小鳥の餌
を購入しポンプの針を付けないで小鳥の餌を
つぶして豆乳・キナコを混ぜ合わせて電子レンジ
で暖めてくちばしを開いて与えました
しかし慣れていないのでこぼしてばかりでそれは
それは大変でした。
この注射器では無理だとわかりペットショップに
電話したところジョイフルホンダのペット館に
ヒナ用の給餌器(注射器)があり早速購入しました

この方法でしばらく試してみたら少しずつ
元気になって歩けるようになりました。
おお〜やった!と小さな命を救った喜びが
こみ上げてきました。本当にうれしかった!

部屋の中で快適にお休みできるように小さな
段ボール箱に着なくなったTシャツを何枚か
敷いて家でのおうちを作ってあげたら
おとなしく中ですやすや眠っていました。
年が明けて寒波がやってきて朝はかなり冷え
込むので段ポールの内廻りにウレタン素材の
梱包材で囲ってあげたら結構効果があった
ようで朝でもバタバタしないようになりました

鳩は卵を産んでから飛べる様になるまで約50日
かかるそうです。(ネット調べ)
卵が孵化するまで約20日、孵化してから約30日
で巣立つのが通常で一年中子育てが出来る生き物
のようですので家で保護したのが孵化後10日ほど
なのであと20日は育て無ければなりません

保護した時はひよこよりちょっと大きい感じ
だったのですが徐々に大きくなりウズラぐらい
になりました
一週間経ってもう部屋を少しずつ歩いて様子を
見ている表情が本当に可愛いです。
部屋に鳩が居るなんて普通では考えられないし
とても不思議な感じです。

保護して4日目から動画を撮りましたので第一弾
をアップしました。
巣立ちまであと一週間ほどです。
「保護した鳩のひな」
posted by 上原オサム at 16:43| Comment(0) | 日記

2021年01月07日

「ビーマイベイビー」

「スターになっていたかも知れないお話」
◆1969年はGSブームの下り坂になった年です。
ジャズ喫茶(今のライブハウスのような所)の
お客さんも減ってきて有名なGSのジャガーズや
モップスでも十数人という日が増えてきました。

それでも希望をもって何とかやってきましたが
渋谷でライブがあったある日そこへ有名な
スカウトマンが現れました。
その人の名は上条英男さんといって小山ルミ・
ゴールデンハーフ・吉沢京子後の西城秀樹・
安西マリア・舘ひろし・川島なお美などを発掘し
スターにのし上げました。

もともとロカビリーの歌手でジョー山中さんを
スカウトして4・9・1(フォー・ナイン・エース)
のボーカルにして活躍していましたがすぐに
引退し裏方になった経歴を持つ方でした
僕のバンドのギターと知り合いだったようで
今度うちへ遊びに来いと言っていたそうです。
小山ルミ&USAでギターを弾いていたので知って
いたようですね

ボス(上条氏のニックネーム)は僕を一緒に
連れて来いと言ったそうで2〜3日後に目黒に
あった自宅に行くこととなりました
家に着くと背の高い若者が部屋へ案内してくれて
ボスがリビングで待っていました。

ギターと僕にあるレコードを聴かせてくれて
このようなデュエットを組みたいので今すぐ
ホリプロをやめて俺のところに来いという内容
で聴いたレコードはエバリーブラーザースの
バイバイラブでした。
「二人でアコースティックギターを持って
デュエットか!」
心の中でどうしようか、やるかやめようか
それはそれは二人でいろいろ悩みましたが
明日までにはお互いじっくり考えて結論を
出そうという事になりギターも僕もやはり
今もそうですが当時ホリプロはナベプロに
次ぐ大きな会社だったので辞めたら後々が
怖いことなどを考えましたね〜

ホリプロの総務にいたお姉さんのようにして
いただいた渡辺さんに(通称なべちゃん)
相談したら親身になって考えてくれて
「もしかしたら売れる確率は高いけどホリプロ
を辞めたらその後の圧力の方が怖いかもしれないね!」
ってアドバイスをいただき結局お断りをする事に
したのです。

二人でボスの家へまた行きましたがボスの家に
居候していたのが後の西城秀樹さんで廊下を拭き
掃除していたり僕達にお茶を出してくれたりしていました
ちょっとお話をすると「僕はデビューできるかどうか
わからないけど可能性にかけて一生懸命頑張りたいと
思うので色々教えて欲しい」と言って連絡先を聞き
僕達のバンドのライブやリハーサルに2〜3度遊びに
来て少しの間親交を深めました。

今思うとボスがスカウトした方はすべて売れた
んですね〜(これはすごいことです)
あの時、ホリプロを裏切ってボスの所へ行って
いたらと思うと複雑な気持ちです。

ボスにどうして僕を誘ったのかと聞いたところ
渋谷のライブの時に歌ったロネッツの曲
「ビーマイベイビー」が大変気に入ったそうです。

ということでDMでもリクエストが多かった
ロネッツのヒット曲で「ビーマイベイビー」です。
「ビーマイベイビー」

posted by 上原オサム at 16:07| Comment(0) | 日記

2021年01月05日

「Roll Over Beethoven」


「チャックベリーとの想い出」
◆海外アーティストと共演した思い出ではベンチャーズも沢山
ありますが何といっても1981年に初来日したロックンロールの
神様と言われた「チャックベリー」ではないでしょうか!
日本公演は全5回のコンサートで渋谷公会堂2回、厚生年金会館
名古屋、大阪フェスティバルホールでした。

「チャックベリー」は演奏メンバーを各国で選抜してリハーサル
をしないでいきなり本番なのです。
どうしたら出来るのかというとロックンロールは12小節単位の
ほとんどが3コードでキーがわかれば演奏できるからです。

日本公演ではメリージェーンで有名なブリジストンの御曹司の
成毛滋さんと僕が選ばれ成毛滋さんは渋谷公会堂2回であとは
僕が3か所でした。

リハーサルがないことが分かった成毛滋さんは最初のコンサートが
新宿厚生年金会館だったのでライブをミキサーさんに頼んで
録音して家に届けて欲しいというお願いでした。
幸い僕が住んでいたところは今の六本木ヒルズのあった場所の
マンションに住んでいたので成毛滋さんの自宅があった飯倉片町
の豪邸まで徒歩で10分ほどの距離でした

最初のコンサートは無事に終わりカセットテープをお届けに
成毛滋さんの自宅へ行くと何とお手伝いさんがいて部屋に
案内されました。(ものすごい豪邸でした)
鳩山前首相ともいとこで年もおなじだったようです。
隣の家の表札には石橋とありました。(ブリッジストーン)

成毛滋さんはお茶を出してくれて「ありがとう、これで本番
バッチリだ!」と大変うれしそうにしていましたが後で聞いた
話では渋谷公会堂のコンサートの本番に遅刻して「チャックベリー」に
大変嫌われたそうです。(笑)
皆さんは成毛滋さんは長髪のイメージがありますが僕が
お宅に伺った時は坊主頭でお兄さんかと思いましたが
実はカツラだったんですね〜(笑)
と言っても禿げでは無く普段は短髪が好きだったようです。

大阪フェスティバルホールが日本公演最後でコンサートで終わると
イベンターが僕の部屋をノックしに来てこれから「チャックベリー」
が一緒に食事をしたいので来てほしいと言われホテルにあった
すき焼きのお店に行くとそこにはニコニコした「チャックベリー」
とお嬢さんの非常に優しかったイングリットベリーさんがいて
僕を隣の席に座らせご一緒にすき焼きをいただきました。
後日聞いた話では世界でツアーをして現地のミュージシャンと
食事をしたのは初めてだったそうです。

二度目に来日した時は横浜スタジアムだったそうででその頃は
もうバンドを組んでいたので呼ばれませんでしたが何やら
機嫌が最悪で演奏予定時間の半分しかやらなかったそうで
「前回来た時のメンバーのサムはどうした?」と言ったそうです
「チャックベリー」にはロスで使っていたサムという名前を
教えていたのですが数年経ったのに覚えていてくれたんですね
その話を聞いたときは本当にうれしかったです。

僕が不思議に思ったのはどうして僕の事を気に入ってくれたか
という事でした。
イベンターの方の推測では海外のミュージシャンはどうしても
対等に話かけて尊敬の念がないという事と自分が一番だと主張が
強いようで僕の場合は最初にお会いした時に深々とお辞儀をした事と
「チャックベリー」さんを尊敬していると英語で伝えた事が
原因ではないかと言っていましたが真実はわかりません

コンサートで取材に来ていた今でもある音楽雑誌「プレーヤー」
の記者さんが「チャックベリー」が僕に対する態度を見て
成毛滋さんの時と全然違うのでぜひ取材をと申し込まれたので
OKしましたが何と5〜6ページに渡って書かれていたのには
本当にびっくりしました。(笑)

そうそう、新宿厚生年金会館でのコンサートの時見に来ていた
加瀬邦彦さんと沢田研二さんが楽屋に訪ねてきたのです。
加瀬さんが「なんだ〜オサムがやっていたんでビックリしたよ」
といって僕に6月のスケジュールを聞いてきました。
ワイルドワンズが再結成してディスコメートレコードから
レコードを出すので一緒にやってほしいという内容でした
場所がハワイのスタジオだったので入っていたスケジュールを
キャンセルしてお受けしました。(笑)
その事が今でも繋がって島英二さんのバンドに参加しています。
それでは聞いてくださいチャックベリーのヒット曲で
「Roll Over Beethoven」です。
「Roll Over Beethoven」


posted by 上原オサム at 19:48| Comment(0) | 日記

2021年01月03日

「ミスターロンリー」

「君の瞳に恋してる」はコーラスが多いと思いましたが実際聴いて
みるとそんなに多くなかったですね〜(笑)

コーラスが良いグループでビーチボーイズやフォーシーズンズ、
フォーフレッシュメンなどと書きましたが大事なグループを
忘れていました。

その名は「レターメン」です。

3人でよくぞここまでハモるのかと心から関心をしていました
日本公演も2回ほど見ましたが本当に最高でした。
ロックミュージシャンで全く興味のなさそうな方も見に来ていて
やはり評価は高かったようです。

1970年当時に大枚をはたいて買った日産のフェアレディ240ZGの
新車にあった8トラックのカーステレオで「レターメン」の
アルバムを聴きながらドライブは最高でした。

8トラックとは知らない方も多いと思いますがカセットの前に
短い期間でしたがカーステレオとしてあった物でオープンリールを
エンドレスにしたような感じで音質はカセットより良かったです。

今回アップする「ミスターロンリー」は当時の雰囲気を出すために
音源を歪ませてみました。
「レターメン」を再現してみましたのでご覧ください
「ミスターロンリー」


posted by 上原オサム at 16:55| Comment(0) | 日記

「君の瞳に恋してる」

僕が最初におぼえた楽器はエレキギターでした。
それがどうしてプロではベースギターになった
のかというのには理由があるのです。
1968年にモータウンフェスというのが有りそこで
演奏していたベーシストが今までのベース奏法と
全く違う演奏をしていた事にビックリし感動した
のでこれからはベースをやろうと思ったのです。

それまではポップスやロックンロール、ロック
等が好きでしたがだんだん黒人音楽が好きになって
きました。

70年代に入りロックとジャズとR&Bが合体した
フュージョンミュージックにはまりベースは
チョッパー(現在のスラップベース)ばっかり
やっていて1976年には僕のバンドが演奏していた
六本木のクラブに当時大流行していたブラザース
ジョンソンのマネージャーが飲みに来ていて
「君のプレーは良い、アメリカに来てみないか?」
とスカウトされましたが当然言葉の問題ややって
行く自信が無くお断りしました。

僕の音楽人生で一番派手なベースを弾いていた
時期です。(若かったんですね〜)

もう一つ好きだったのがコーラスです。
日本人はあまり得意では無かったのでビーチボーイズ
やフォーシーズンズ、フォーフレッシュメンなど
をコピーしているバンドやグループは皆無でした

最近では僕個人でやっているコンピュータで
ドラム・ベース・キーボードのパートを録音し
その音源に僕のギターと歌を追加してやる
一人ライブでコーラス物を多くやっています。

ではフォー・シーズンズのフランキー・ヴァリが
1967年に発表し全世界でヒットしカバーも
ものすごく多かった名曲です。
「君の瞳に恋してる」を演奏してみました
「君の瞳に恋してる」

posted by 上原オサム at 08:36| Comment(0) | 日記